2019年八幡山ブログ京都祇園祭

京都・祇園祭の八幡山の話題や行事日程に限らず、2019年の京都・祇園祭の様々な山鉾町の様子を写真を交えてご紹介していきます。

 

昨年度募集させていただいた奉賛を本年度も募集させていただきました。詳細はブログに掲載しております。

各お家に溜まった大型ゴミを片付けて、清々しく新年が迎えられるように八幡山町内では

10年前から大形ゴミの協同回収を行って居ます。

今年もみなさんお手伝いしながら、沢山のゴミが片付けました。

 

 

集まり始めました。

 

回収業者さんが来てくれて、素材別に手際良く積み込んでくれます。

 

これがゴミのピークです。

毎年毎年、よくまあこれだけゴミが出るものです。

でも、3.4時間ですっかり綺麗になりました。

これで、スッキリとお正月を迎えられます。(萬)

八幡山の町会所4カ所に懸ける新しい「注連縄」が届きました。

4尺、2間、2間、3間で、玄関、土蔵、収蔵庫、お社の分です。

注連縄に付ける「御弊」は、自作なのでさっそく製作に取りかかりました。

1本の注連縄には、4本ずつの御弊が要るので16本必要です。

 

奉書を均等に切って原紙にします。キッチリと割り算をしなくては。

 

原紙が出来ました。

 

原紙に切り込みを入れてから、前へ前へ折り曲げます。

先端は三角にして、縄に挟みやすいようにします。

玄関はこのように。

 

お社はこのように。

28日は、来年の行司さん達が集まって、注連縄の張り替えや掃除をしてから、神前飾りの準備をして、1月1日の「新年拝賀式」に備えます。(萬)

今年も、八幡山の祭事行事は無事に終えられました。

例年のごとく、12月13日の「事始め」に、一年間「行司」として中心になってお山のお世話をして頂いた「主行司さん」から

次年度の「主行司さん」へ、書類備品一式が引き継がれました。

八幡山の理事長も立ち会いました。

様々な備品と共に、引き継ぎ事項の伝達も行われました。

 

八幡山の連絡事項を、御町内の皆さんに伝える回覧箱も渡されます。

回覧は年間に、二十数回は廻されます。

 

無事に引き継ぎを逢えた、旧の主行司のHさん(左)新の主行司のOさん。

Hさんご苦労様でした。Oさん、来年はよろしくお願いします。(萬)

 

 

祇園祭の山鉾は、前祭23基、後祭10基(3年後には11基)有りますが、それらをまとめるのが「山鉾連合会」です。

八幡山は、後祭の10基の中で、毎年7月24日に巡行してます。

その連合会の理事長が、岸本氏から木村氏に引き継がれました。

副理事長にも、大田氏と大嶋氏が新任となり新体制の連合会の活躍に期待が集まります。(萬)

9月、10月、11月の八幡山は静かでした。

もちろん、京都市とか山鉾連合会との連絡事項はいろいろ有りますが、担当の人の対応だけで済んで居ました。

そんな中12月を控えて、久しぶりに八幡山保存会の役員が集まって、今年の経過報告と来年の事業計画と予算案について審議・承認をしました。

八幡山保存会では来年も大きな変更は有りませんが、来年3月中頃には大事な懸装品を京都文化博物館で展示して貰うことになっています。

これから、それらのうち合わせやいつも通りの年度替わりの事務的な作業が続きますから、12月にはまた集まらなくては。

また、その歳のお祭りを取り仕切る「行司さん」の交替が、12月13日の「事始め」に行われます。(萬)

2019年の八幡山巡行の様子を、まとめて入手した画像を掲載して

改めて紹介させて頂きます。

早朝からみんなで第一装の飾りに仕上げた八幡山が、巡行出発の前に御池通で記念撮影です。

 

 

他の山鉾も、次々に集まり始めました。

旗持ち1人、先触れの「チリン棒」に2人、舁き手に20人、大工方4人、荷物掛かり1人。

裃を着用したお供の人が20数人。

八幡山が晴々と、巡行出発です。

八幡山は毎年、強力なボランティアの皆さんに舁き手を依頼しています。

町外協力者も、毎年巡行に参加です。

 

晴れたので、大事な懸装品が濡れる心配は無くなりましたが、とにかく暑い。

みなさん、元気に巡行のお供をされています。

御池通を東に巡行する八幡山。間もなく「鬮改め」(くじあらため)の場所です。

 

正使と、その脇を固める副使が揃いました。

 

副使2人が、八幡山の厄除け粽と白扇を献上します。

正使と八幡山は、後方に待機しています。

 

 

正使が、7月2日の「鬮取り式」(くじとりしき)で引いた鬮(くじ)の入った文箱の房を、扇子でおもむろに解きます。

 

巡行の順序に間違いが無いかを、奉行にみたてた京都市長が確かめます。

別角度からの「鬮改め」

 鬮改めの間、お供の人達はこうして見守ります。

 

鬮を改めて貰った正使は、大きく白扇を拡げて八幡山を迎えます。

鬮が改められたら、お山は市長の前で一回りして、お山全体を見聞して貰います。

舁き手(かきて)は晴れがましい力の出しどころですから、頑張ってくれます。

 

八幡山の鬮は、7月2日に正使がこのようにして引きました。

引いた籤を、会場全体に披露しています。

鬮取り式の日には、八幡山のMさんが「永年協力功労賞」を、京都市長から授与されました。

 

市役所を過ぎて、河原町通を巡行中の八幡山。

今年の役員さんがお山の前を、その他のお供の人はお山の後を歩きます。

このホテル前では毎年、ダラリの帯の舞妓さんが献酒を持って待っていてくれます。

正使が受け取って、厄除け粽をお渡しします。

廻りには、舞妓さんのショットを狙うカメラマンがいっぱいです。

こうして2人並ばれたら、流石に向こうの八幡山も霞みます。

いくら「絽の着物」とは言え、さぞかし暑いことでしょう。

 

四条通の「八坂神社御旅所」では、巡行のメイン「八坂神社拝礼」

八幡山の前にお供の人が揃って、玉串(たまぐし)を奉奠(ほうてん)した正使に合わせて二拝二拍手一拝。

これからは、還り巡行になります。

ここで11時30分くらい。町内まで戻るにはあと一時間ほど掛かります。

 

いよいよ、四条室町まで帰ってきた八幡山。

後の「黒主山さん」が、ここから右折して町内へ還るので「鯉山さん」が、待機しています。

八幡山は、いよいよ新町通まで還ってきました。

南観音山さんの町会所を通過。町内まであと200メートルです。

午後1時まえには、町内に帰還出来ました。

こうして、今年も例年と変わる事無く、八幡山の巡行は無事に終えられました。(萬)

 

 

今年の祇園祭巡行は、晴れてくれましたが、宵山の間に何度か降られましたので、宵山飾りの懸装品が沢山の水分を含みました。

町内のお宅をお借りして、一月ほど干していたところ、充分に乾燥出来たので収蔵庫に戻しました。

この前懸けは、昭和32年作と書かれて居ます。54年前ですね。

当時の役員さんのお名前もハッキリと。

このうち、8割くらいのお家の息子さんやお孫さんが、今も携わって居られます。

現在の我々は、このよう貴重な文化財を粛々と継承してゆかなくては。(萬)

 

8月10日の放生会のお参りを終えて、今年の八幡山の神事を終えたので、12人の役員が集まって今年の反省会を開きました。

春から始まったお祭りの準備から、粽造り、飾り付け、宵山、巡行、収納、放生会など様々な作業について

いろいろな意見が出ました。

これらをまた、来年の参考にして毎年同じようにお祭りが運営出来る様に願います。

長老さんから若手まで、年齢は揃っていますが、八幡山も他のお山と同じく若手の人数のさみしいのが悩みのタネです。(萬)

 

7月に、無事お祭りを終えた八幡山では、毎年8月10日に「放生会」の神事で、やはり町内の皆さんが神前に集まります。

今年の行司さん達が、早朝から神前飾りをしてくれました。

皆さん、定刻に集まりました。

この日は「石清水八幡宮」さんから神官を迎えます。

八幡山では、石清水さんを町内に勧請して居るからです。

石清水さんをお山に載せて、八坂神社の祇園祭の巡行に参加しています。

丁重な御祓いを・・・。

お参りの様子の動画は「こちら

 

猛暑の中、祝詞(のりと)を奏上。

神官と町内代表が玉串を奉奠(ほうてん)したら、神事が終了。みんなで御神酒を頂きます。

お下がりのお菓子が頂けました。

これで、八幡山の大きな行事は全て終えます。(萬)

祇園祭の前祭り巡行は7月17日で、その巡行の夜に八坂神社から三基の御神輿がお出ましになり

市内を練ってから御旅所に落ち着かれます。

それが「神幸祭」です。

八幡山が巡行する後祭は7月24日で、その夜は御神輿が八坂さんへ還られます。

それが「還幸祭」です。

三基の御神輿がお還りになる時には、八幡山のすぐ傍を通られるのでいつもお見送りします。

御神輿の動画は「こちら」から。

三若の神輿、四若の神輿、錦の神輿の順に、三条通を東へ東へ。

八幡山を支える人達が、揃って見送ります。

数年後には、150年ぶりで祇園祭巡行に復帰される「鷹山さん」の町内をも

御神輿が通るので綺麗に揃ったお囃子で見送ります。

お囃子の動画は「こちら」から。

踊る御神輿の動画は「こちら」から。「こちら」でも。

夕方から市内を練り歩いた御神輿は、名残惜しそうに宮入りの前に石段下で

ひとしきり差し上げや回しをしてから11時までには、順次宮入りします。

 

四若、三若、錦の順に、八坂神社の拝殿に収まってゆきます。

この後午前0時から「御霊移し」で、神様を本殿に戻して落着です。

まだまだ7月中は、いろいろな神事が有りますが、大きな催しはこれでお終い。

長い長い今年の祇園祭も、いよいよあと僅かです。

いつもと変わらず「例年どおり」が護れました。(萬)

祇園祭後祭りの八幡山の巡行を無事に終えて、殆どの懸装品が収まりました。

当HPを訪問して頂いてるみなさま、いつもいつも御支援をありがとうございます。

みなさまからお送り頂いた、御奉賛金は八幡山運営の一部に使わせて頂きました。

つきましては昨日、御奉賛についての御返礼品を発送させて頂きましたのでどうかお納め下さい。

今後とも、八幡山を暖かく見守って頂けますようにお願い致します。(萬)

7月24日、いよいよ後祭りの巡行です。

八幡山は、11基のうち4番目を巡行します。

6時50分に、町内の人が総出でお山を第一装の飾りに仕上げます。

天候によっては、第2番、第3番のお飾りを施すことも有りますが、晴れ晴れの今年は第1番の飾りです。

 

出発時間の8時30分には、舁き手も揃っていよいよ出発です。

猛暑の中、4時間の巡行を終えて、八幡山が町内に帰ってきました。

籤改め(くじあらため)も八坂神社拝礼も無事に済ませて、町内の人達から暖かい拍手で迎えられます。

その様子の動画は「こちら」から。

帰還してから1時間は恒例の、R大学さんによるデータ記録撮影です。

もう数年前から、R大学さんには大変お世話になって、八幡山のあらゆる記録を撮って貰い

貴重なデータを残して貰っています。

これはその一環です。

変わった型のカメラは、どんな記録が出来るでしょうか?

お山を一回りする動画は「こちら」から。

お山を前から撮った画像は多いのですが、後に懸けた「見送り」も、250年以上前の素晴らしい織物です。

 

八幡山を支えるのは、勿論数十人の町民です。

でも、現在八幡山には8人の「町外協力者さん」が居られて、お祭りになると駆けつけて来て

大きく貢献して頂いています。

巡行の後、遅い昼食をいつも皆さんで一緒に楽しみます。

 

今年の宵山では、何度か雨に見舞われて、雨具を懸けたもののやはり少しずつ濡らしました。

それらを、町内の人の好意で大きな部屋をお借りして乾燥です。

殆そどの懸装品や所蔵品は、25日に全て収蔵庫に入れますが、これらの物だけは、一週間したら裏返して、その後8月半ばには収納します。

それでまた一年間、見られません。(萬)

21日は朝から町内総出です。

収蔵庫から懸装品など、沢山の道具を出して、会所とお山に飾り付けます。

綺麗に飾り付けを終えたところへ、八坂神社から神官が来られて「清祓いの儀」

 

お祭りの無事を祈願して全員で拝礼です。

その様子の動画は「こちら」

お授け品を清めて貰います。

 

駒形提灯の揚がったお山も清祓い。

 

またまた、御神酒を頂きました。

 

スルメと昆布も配られます。その後、町内一同が、「八幡山」の前で集合写真を撮影しました。

 

 

八幡山の御朱印には、長い列が出来て居ます。

毎年の宵山には、行者さん御一行のお参りが有ります。

20数人の山伏さんが、般若心経を読経。

その様子の動画は「こちら」と「こちら

この後、行者さん達は「役行者山」へいって、大きな「護摩焚き」をされます。

そして、24日の巡行にも参加です。

 https://www.youtube.com/watch?v=DBBSLa-B6-Q

可愛い子供達が、粽、御守り、鳩笛、鳩鈴を八幡山の町会所で売ってくれます。

その様子の動画は「こちら

みなさん、毎年毎年、よく頑張ってくれます。ありがとう。(萬)

 

前祭りの巡行の翌日は八幡山の「吉符入り」神事です。

町内の人達がうちそろって、神前に拝礼して、今年のお祭りの無事を祈願します。

10時の開式を前に、皆さんが集まり始めました。

八幡山保存会の長老さん達。

拝礼の後、スルメと昆布と御神酒を頂いてから会議です。

 

今年のお祭りについての説明が、主行司さんから話されます。

八幡山は「例年どおり」これが一番です。

大工方は、八幡山の骨組みを始めてくれています。

20日の夕方には、組み上がったお山の舁き初めを行います。

町内の人達や、観光客も入り混じって町内を一周します。

しっかり組み上がっていることを確認。

舁き初めの動画は「こちら

舁き初めを済ませたお山は、「埒」(らち)と呼ばれる囲いが施されて、駒形提灯の電球も付けられました。

明日から賑やかな宵山が三日間続きます。

 

 

この、八幡山の舁き初めについて、ここでお詫びを申し上げます。

例年の舁き初めは、20日の午後4時からなのですが、今年は、北観音山、南観音山の舁き初めが早く終わったので

それに釣られて早めに始めてしまいました。

4時頃になって「舁き初めは未だですか?」と尋ねる人が何人も居られて「しまった」となりました。

八幡山の舁き初めを楽しみに来て頂いた方々には大変気の毒な事になりました。

心よりお詫びすると共に、来年はキッチリ時間厳守をとお約束致します。(萬)

 

 八幡山では、町内の各玄関にお揃いの幔幕を張って、前祭りの山鉾を迎えました。

八幡山の町会所前を巡行する「芦刈山」

 

どの家も、二階は鈴なりの人です。

綾傘鉾のお稚児さん5人は、お疲れの様子。

後の方で、綾傘の人達が「棒振り踊り」をして居るので、待機です。

棒振り踊りの動画は「こちら

2回の窓からは、鉾に手が届きそうなくらいに近いです。

鉾は、家の軒や電柱ギリギリに進むので、この通りが鉾を観るベストスポットと言われて居ます。

船鉾も間近です。

10数基の山鉾巡行の最後は放下鉾。その後には、大勢の観光客が付いています。

今年は、少し暑さがましだったから、良かったです。

さあ、前祭りが終わると、後祭りの始まり。

八幡山も始動です。(萬)

八幡山では毎年、7月17日に前祭の山鉾巡行で山や鉾が沢山通ります。

そこで、八幡山のお祭りは18日からが本番ですが、前祭の皆さんを歓迎する為、7月16日に町内の各家や会社の玄関にお揃いの幔幕を張ります。

町内の人達と、R大学とR大学の皆さん約15人が、打合せをしてから作業に取りかかります。 

 

いろいろな造りの各家や会社の玄関に合わせての取り付けは、なかなか大変です。

みなさん、よく頑張ってくれます。

 

こうして、町内の28軒に幔幕が取り付け完了。

 

町会所の前は、冠木門と白地の幔幕を掲げます。

こうして、翌日(7/17)の前祭山鉾巡行をお迎えするしつらえが整いました。(萬)

日頃から、親しくお付き合いさせて頂いている「大船鉾さん」から、招待状が届きました。

2年前に購入された、立派な町会所には、大勢の人が訪れて居ます。

嬉しそうーー。

林理事長は、大勢のお客さんや報道陣への説明に掛かりっきりです。

 

跳ね高欄と艫高欄の漆塗りが完成した落ち着いた朱色には、みなさんからため息が。

  

24日の今年の巡行は、またまた注目の的です。

とはいえ、大船さんは、まだまだ多くの再建予定の物件を抱えて居られます。

幸いにして八幡山は、先人の苦労のおかげで一応の形が整っているので大変有り難い事です。

大船さんの、これからのいろいろな再建事業が、滞り無く進んでゆきますように。(萬)

今年も、大勢の方から八幡山への御奉賛お申し込みを頂いて居ります。

今回初めてのかたも、何年も続けての方も、本当にありがとうございます。

御浄財は八幡山の為に有効に使わせて頂いて、お祭りを終えましたら、厄除け粽などを送らせて頂きます。

今後とも、八幡山への御支援をよろしくお願いします。(萬)

八幡山では、毎年ドンドンと増えてくるお祭りの費用の捻出に苦慮して居ります。

町内の皆さんで、出来るだけの節減に知恵を絞っておりますが、なかなか簡単な事では有りません。

いつもお願いして居ります「八幡山への御奉賛」については、当HPのトップに掲載して居りますので

毎年大勢の方からお申し込みを頂いて居ります。

今年もまた、是非八幡山に御奉賛のお申し込みを頂けますようよろしくお願いします。

お申し込み頂いた方にはお祭りの後で、八幡山のお授け物を送らせて頂きます。(萬)

七月に入ると八坂神社を始め、34基の山鉾町では様々な神事行事が行われて、お祭りムードに入って行く京都の街です。

八幡山の今年の主役が、いつも沢山の協力を頂いている大学の関係者とのうち合わせ会議をしています。

今年も、御協力をよろしくお願いします。(萬)

祇園祭1150年記念と令和元年を祝して、提灯行列が行われました。

初めての事でどんな様子か判らないままに、八幡山からは、理事長と今年の主行司さんを筆頭に

七人が参加してきました。

700人以上の参加ということで、提灯は半数の人にしか貰えずでしたが、八幡山は

みんな貰えました。

首は「奉祝たすき」は、全員に配られました。

7時に八坂神社を出発した行列は、小雨の四条通りや河原町通りを練り歩いて、2時間後には

また八坂さんに戻って振る舞い酒を頂きました。

今年も、祇園祭の様々な神事、行司が滞り無く終えられますように。(萬)

令和元年7月2日 京都市役所・会議場にて、鬮取り式が行われ、八幡山の主行司がくじを引かれ、後祭 山二番(先頭の橋弁慶山から四番目)

と良いくじ運でした。

当日のようすを御紹介しましょう。

京都市会議場では、役員さんがみんな揃い、報道陣も待機して、市長さんが正面に立って、開式を待っています。

左側が、八坂神社関係の人達。右側は、祇園祭関係の人達です。

諸人注視の中で、鬮が赤い三宝に乗せられます。

前祭り23基、後祭り10基のうち、毎年籤取らずの11基を除いて、22基が鬮を引きます。

八幡山の代表が鬮を引いて、披露してい居る様子の動画は「こちら

鬮を引き終えると、程なく「鬮札」が出来上がり、壇上から披露されます。

八幡山の代表が、受け取った鬮を披露している動画は「こちら

巡行当日には、この鬮を市長さんに見聞して貰う「鬮改め」と言う儀式が有るのです。

八幡山HPの、トップページは、鬮改めの時のショットです。

 

数年後から、新たに34番目の鉾として祇園祭に参加する「鷹山」の代表者が「2、3年は唐櫃巡行をして、その後には正式に巡行に参加します」との御挨拶。

着々と、大きなお山の準備をされています。お待ちしていますよ。

当日の、京都新聞夕刊の画像です。

令和元年 祇園祭 山鉾巡行 順序を掲載します。(京都新聞より転載)

これから、京の街はお祭りに染まります。

八幡山も、いろいろな準備に追われています。(後・萬)

 

八幡山の土蔵には、祇園祭の為の懸装品や所蔵の文化財が数多く収納されて居ますが、その中には多くの古文書もあります。

市の古文書に長けた専門家に見て貰ってから、今は京都歴史資料館(寺町丸太町上る)に寄託してあります。

100年以上前の八幡山町内の、町規(町内規則)や、住人名簿や不動産の面積(間口・奥行き)税額の記録、各家の印鑑証明原簿がハッキリと読めます。

不動産簿や印鑑証明は、町内で管理していたようです。

これらの文字が、自分で全部解読出来たら楽しい事でしょうね。

我々が引き継いだ、これら八幡山の全てを、何もかも、次世代にそのままま渡さなくては。(萬)

 

 

 

八幡山の宵山の会所飾りで、いつも展示される「元禄時代の見送り裂」です。

 

元禄時代の見送りの柄を再現して新調したのが、この前懸けです。

この図案の作成には、八幡山の先人の方々が大変苦労されたとの言い伝えが有ります。

 拡大しても、このような様子で、とても絵柄になりませんでした。

そこで、赤外線カメラの撮影を試みたところ、肉眼では見えない文字と絵柄が浮かび上がったのです。

この赤外線写真は、八幡山の土蔵に大事に保管されています。

 

これは「伯牙山さん」の前懸けと同じ図案でした。

当時は、好まれる図案をこうしていろいろなお山が懸装品として懸けていたようです。

 

伯牙山さん

 

昭和61年の「山町鉾町」に、八幡山と伯牙山さんが情報を交換しながら

前懸けの復元新調を進めて居た事が詳しく記載されています。

 

 

 

とある学識経験者に、この漢詩の解読をして頂きました。(2017年にも掲載済みですが再度掲載します。)

 今年のお祭りまで、もう2ヶ月を切りました。

八幡山では「いつものように」をモットーに、今年も粛々と準備を進めて居ります。

是非とも、宵山の八幡山、巡行の八幡山を御覧頂いて、八幡山の粽をお求め下さい。(萬)

 

この画像は、八幡山の「会所飾り」です。

巡行前の三日間、八幡山の何通りもの懸装品や、所蔵品をこのようにして皆さんに見て貰っています。

この画像の真ん中に懸けられている「八幡大神」のお軸を、最近になって改めてしげしげと見る機会が有りました。

170年くらい前の書になるとか?

あまりにも、気にしないでついつい簡単に扱っていました。

ほかにも、数々の貴重な文化財を預かっていることを胆に命じて、これからも「はちまんさん」のお世話をさせていただきます。

八幡山では数年前から、お山の全貌をデータとして残すために、いろいろな団体やいろいろな人の協力を頂いて進めています。

そのうちでも特に今回は、最も多くの物の撮影をお願いしました。

八幡山の鳩の箱、文箱の箱が見えます。

中段の紙製の箱には、八幡山の歴史を書き続けた巻物四巻が収められています。

これも全てを記録してもらいます。

安全で、なおかつ空調設備の整った処に保管された懸装品の数々。

右の黒い布に包まれたのは八幡山の象徴ともいえる「総金箔のお社」です。

 

 

「龍の胴懸け」の撮影

水平のLINEに合わせるのがひと苦労ですが、二人の女性が付きっきりでサポートしてくれています。

 

このカメラで撮影して貰った画像は、何倍もの拡大が出来て、細い糸の組織まで判読出来ます。

今回の撮影で、八幡山の所蔵品の八割方がデータ化出来る事になり、本当に有り難い事です。

何人もの人達に、苦労して進めて頂いたおかげです。(萬)

公益財団法人八幡山保存会の理事会が2月4日に開催、2月18日に評議員会が開催され、昨年度(平成30年度)事業報告と決算報告がなされ、承認されましたので、ここに決算書を掲示(公告)致します。

2月早々に、八幡山の役員が集まって、2018年の事業報告と決算報告を確認しました。

ここ何十年もの間、お祭りそのものの運営は、実に順調に推移しています。

しかし、収支決算は、年々嵩んでくる費用の増加で頭の痛い状態です。

また今月末に集まって、諸々の問題を話し合わなくては。

その後は、7月のお祭りに向けての準備が始まります。

改めて、厳しい財政をみて、皆さん真剣な表情です。(萬)

47年前の祇園祭巡行順序の案内が見つかりました。

長い間、祇園祭は二十八基でしたが、昭和27年に「菊水鉾」が再建されて

全二十九基になりました。

その後、昭和54年に「綾傘鉾」 昭和56年に「蟷螂山」 昭和60年に「四条傘鉾」

平成26年に「大船鉾」が相次いで再建されて、現在は三十三基です。

数年後には「鷹山」の再建も計画されて居ますから、京の雅の集大成「祇園祭」は

いっそう晴れがましくなります。

 

現在の「祇園祭案内」は、ずいぶんと行き届いています。

 

前祭は二十三基。

後祭は十基。再建予定の「鷹山」は、後祭なので、数年後には十一基になります。

猛暑の時期の祇園祭ですが、八幡山のHPでたくさんの予備知識を得られて

是非とも7月に京都へお越し下さい。(萬)

八幡山恒例の「新年拝賀式」は、よく冷え込みました。

行司さんたちが朝早くから集まって、神前飾りをしてくれました。

 

定刻が近づくと、町内の人々が晴れ着で集まり始めました。

全員、記帳をしてからお参りです。

 

 

10時丁度、全員で八幡さんに拝礼してから、今年のお祭りについての説明が有りました。

 

神前からお下がりの「昆布とするめ」を頂いてから、全員に御神酒が注がれます。

その様子はこちらから。

これで、今年も八幡山は無事に一年の催事を執り行えます。

日頃から、八幡山への御支援を頂いているみなさまありがとうございます。

本年もどうか八幡山をよろしくお願い致します。(萬)

 

大勢の方々から、八幡山への御奉賛のお申し込みをありがとうございました。

おかげさまで、返礼用に準備しました「厄除け粽」の数量に達しました。

誠に勝手ながら、本年の御奉賛の受付を終了させて頂きます。

深くお礼とお詫びを申し上げます。

来年こそはいつも通りのお祭りが賑々しく執り行えることを祈念してまた皆様の御奉賛をお待ち致します。

是非「はちまんさん」の宵山と巡行にお越し下さい。

 

 

本年は、新型コロナウイルスの為に日本中の、世界中の数々の大小様々なイベントが中止になりました。

疫病退散祈願から始まった我々の祇園祭では有りますが、感染拡大防止の為にやむなく巡行を中止致します。

しかし、八幡山では少人数の参列となっても疫病退散祈願だけは執り行い、厄除け粽など数々のお授け品も御祓いして授与致します。

尚、八幡山が毎年広く皆さんに御願いしております「御奉賛募集」は、今年もお受け致したいと存じます。

みなさん是非今年も、八幡山への御奉賛をお願い致します。

7月末までには御祓いを済ませた厄除け粽などを返礼品として送らせて頂きます。

一口3000円で、何口でも結構でございます。

 

お詫び。

誠に申し訳無いございませんが、八幡山への御奉賛のお申し込みを大変沢山頂戴

致しましたので準備しておりました「厄除け粽」が残り少なくなりました。

御奉賛に深く感謝申し上げます。

これから先、ひょっとしたらいつかの時点で、お申し出を辞退させて頂く事にな

るかも知れませんのでどうか御承知いただきたくお願い致します。

来年は宵山も巡行も例年通り執り行えると信じますし、厄除け粽もたくさん準備

させて頂きます。

 

奉賛者募集

八幡山を後世に維持・継承させていく事を目的に奉賛者を募りたいと考えております。

当ホームページにて奉賛者を募集させていただきます。

奉賛内容と致しまして八幡山保存会へ奉賛金3,000円を納付いただきます。

奉賛のお礼として、八幡山のお授けを7月末頃に送付させていただきます。

奉賛金は、八幡山の管理、維持の為に有効に使わせて頂きます。

お申し込みは右の欄の「八幡山保存会お問い合わせ」からお願い致します。

そこのメッセージ欄に、口数、郵便番号、住所、電話番号を入れて送信して下さい。

折り返し詳細のお知らせメールを返させて頂きます。

(メールの返信が届かない方は、再度申し込みをお願いします)

尚、勝手ながら申し込みの締め切りは7月24日21:00、送金の締めきりは28日21:00とさせて頂きます。

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