例年の7月2日は、祇園祭の山鉾巡行の順序を決める「鬮取り式」が行われます。
令和4年は、3年ぶりにいつも通りの巡行にむけて、鬮取りが行われました。
今年の八幡山の「行司」(その年のお祭りを取り仕切る)の代表二人が、8時30分に町内を出発して、市役所に向かいました。
元禄十七年から保存されている、八幡山の文箱を持って。
9時から別室で行われた「予備籤」を引いてから、10時丁度に京都市会議場に入ります。
いつもは、市会議員さんが座る椅子に、各山鉾の代表が座ります。
毎年の巡行順序が変わらない「鬮取らず」の山鉾が十基有りますが、その他の二十四基が、予備籤の順序で引いてゆきます。
八幡山は、予備籤がビリだったので鬮を引くときには既に、ひとつしか鬮は無くて残り鬮でした。
山の第六番、と言うことは最後列が決まりということです。
しんがりの大船鉾さん、その前の鷹山さんは鬮取らずなので、八幡山は後から三番目。
翌日三日の新聞には、全ての山鉾の順序が掲載されて居ました。
十七日の前祭の二十三基、二十四日の後祭の十一基が、久しぶりに都大路を巡行します。
鬮取り式を終えた、山鉾連合会の皆さん全員で八坂神社にお参りしました。
今年のお祭りを、無事に挙行出来ますように。
例年なら、直来で皆で昼食を頂くのですがコロナの為に今年は「お赤飯」を貰って帰りました。
八幡山の二人も、まずは ひとつのお役目を終えてホッとしています。
でも、これが始まりです。
行司の皆さんと共に、様々な神事、行事を滞り無く努められるように心を引き締めております。(萬)